私は日本語で思考するほうが得意なので、英語で論文を読んだ後に日本語を使うと、脳が水を得た魚かのように動き出す。しかもそれが論文や研究のことではなく、より一般的な事柄やどうでもいい絵空事であればあるほど、脳内エンジンが一気に回りだす。どうやら今がその時のようだ。
無駄にエンジンを回すのはエコではない。脳も車もだ。よって、いかにくだらない事柄でも、脳の回転数が上がったときのアイデアは文字にして保管しておくべきだ。
今日はその文字化したアイデア(というか考え)の一部を、これからワークメイトとなる人たちと共有するためにもブログに上げる。
仕事と責任
仕事をしている人は、多かれ少なかれ皆自分の仕事に責任を負っている。とくにその仕事が好きで、自分の仕事に誇りを持っている人は、責任を負うことを苦とせず、むしろ責任がやる気につながっている。一生懸命なことはいいことである。仕事の効率・質・生産性が向上するからである。しかし、自分が負っている責任を今一度見返し、必要の無い責任まで背負いこんでいないか見直すことも大切である。なぜなら、本来追うべきでない責任を負うとき、人の心は無意識の内に疲労困憊していくからである。
例を挙げよう。
A君は大学1年生。アルバイトで塾講師をはじめることにした。理系の学部に進学したが、英語を教えることにした。
A君はやる気だった。はじめは得意ではなかった英語だが、受験をするうちに幾分か得意になり、英語を勉強することのつらさや問題が解けたときの喜びをたくさん経験したので、その思いを後続の受験生に伝えたいと思っていたからだ。さらに、自分の英語力の向上にもつながると思ったからだ。理系の英語は需要が高い。日本の理系技術は世界から見てもトップレベル。その技術を世界に発信するためにも、英語は不可欠だ。A君はそうした思いを旨に、自らも勉強を怠らず指導に励んだ。
塾のシステムは次のようになっている。講師が数人の生徒を受け持ち、個別で指導をする。また教材は塾の方で用意されており、その教材に則って勉強をする生徒がわからない問題に直面したとき、講師が適宜説明をするといったものだ。
生徒の「わからない」に対応するため、A君は日ごろから良く勉強をしていた。また、A君は教える内容や、自分の発言にも注意を払っていた。自分の教えることの一つひとつが生徒の知識になるからだ。
塾講師になってからしばらく経ち、受験シーズンに入った。自分の生徒たちが受験をしていく中で、ある程度自分でも「教えることの責任」を感じるようになっていた。
そんなとき、自分が担当していた文系の英語系コースを受験した子の受験結果が耳に入った。
不合格。
A君は責任を感じた。(自分の指導していた子が受験に失敗したときの教師の感覚は言葉にし難いものがある)。そして自分が本当にこのまま指導をしていっていいのか迷ってしまった。そして迷う中で、生徒との接し方、自分の知識の少なさをずっと後悔していた。
責任の分析
A君が責任を感じてしまうのはわからないでもない。しかし必要以上の責任を負うべきではない。以下は分析結果である。
1.アルバイトであること
そもそも塾講師のアルバイトは生徒の成績向上に責任を有さない。教材に沿って勉強する学生に適宜補足説明をすることが契約条件。アルバイトの義務は契約条件を守ること。A君が塾講師として適切だと思ったから塾はA君を採用したわけで、仮にA君の指導力が不足しているとするならば、塾はA君に解雇を要求するはずである。解雇要求がないのだから何も気にする必要は無い。
2.自分の発言に注意を払っていた+不合格
教えることになると良く付きまとうのが教える内容の正確性である。確かに、教える内容は正確でなければならないし、方法も正確でなければならない。しかし完全である必要はなく、また完全であることは不可能である。さらに、生徒が教えたことをすべて覚えているとは限らない。いや、塾に行くだけで勉強ができるようになると考えているアホもいるくらいだから、案外家で勉強をしない生徒だったのかもしれない。
3.文系の英語コース
そもそもなぜA君が文系の子を持たなければならなかったのか。文系の英語専門の講師を雇えよ、管理職。システム管理者が悪い。
4.迷う中で・・・悔いていった
悪い思考は連鎖し、必要以上に拡大・拡散するもの。鬱傾向にるので、開き直るべき。
結果のまとめ
- 生徒の成績向上(受験の勝敗)に責任を持ちすぎである。バイトはそんなの考える必要ない。
- 指導者のモデルを高く持ちすぎである。A君が完全な指導をできるわけがない。そして生徒がすべてを覚えているわけではない。
- 文系コースを受ける子がA君の担当になっているのが間違い。システム管理者が悪い。
- 悪い思考は連鎖する。直ちにポジティブに切り替える。もっとも簡単な方法は開き直ること。
一番大切なこと
一番大切なのは楽しく生きていることである。安定した心で幸せに生きなければ、世の中まったく面白くなくなってしまう。心が安定していなければ、指導だっておろそかになる。変に責任を負ってしまうと、心がその重さに耐え切れなくなってしまい、心が乱される。鬱の人のように行き過ぎた考えになってしまえば、最悪死をも想像してしまう。自分を責めない。それが大切。
責任は取るべき人が取るもので、取る必要の無い人は取らなくていい。A君の場合、もし生徒の親から訴えられて責任を取ることになったなら、塾の管理職が責任をとればいい。A君は開き直って、「俺はやるべきことをやって金をもらってる。それ以外の契約は結んでいない。故に生徒の合否は関係ない。」と思っていればいいのである。
仕事をがんばればがんばるほど、余計な責任を負っているものです。自分がその仕事を好いていれば、なおさら自ら背負い込んだ必要のない責任に気づかなくなってしまいます。 一度立ち止まって、よく考えて見てください。
A君、君の本務は学生でしょうがw
(ちなみにA君は私の知り合いです。実話でした。)
おしまい