久しぶりの投稿ですが、変わらず否定を恐れず批判的・建設的な提言を忘れないよう心がけます。
民間の英語教育とは
ここで議論の対象とするのは「民間の英語教育」です。「民間の英語教育」とは、公の教育機関(公/私の学校教育、すなわち幼・保・小・中・高・大)を除く団体で、民間の経営団体(学習指導要領の準拠しない教育を行う団体)が執り行なう英語教育を指すこととします。
民間の英語教育の特徴
筆者の定義に従いますと、民間の英語教育の特徴は大きく、
1.学習指導要領に準拠しない。
が故、
2.個別の指導方法を持つ
3.個別の経営方針を持つが故、個別の指導目的・目標と指導対象(指導を受ける人)を持つ
の3つの特徴を有しています。このことから、公教育とは違った良・悪の両側面を持つこととなるでしょう。
良い側面:
●学習指導要領にとらわれることがないので、学習指導要領では補完しきれない内容・技術を遂行することが出来る。
●ユニークで個に合わせた指導方法が期待できるため、公教育で学びきれなかった内容や公教育で取り扱われなかった内容を指導することが出来る。
●ユニークな指導方法を行うことが出来ることから、個に合った学習方法を提供できる可能性がある。
悪い側面:
●公教育ほどの教科教育研究(内容・方法共に)がなされていない可能性がある。これに関しましては、公教育以上の研究を行っている団体もあります。例えばベネッセ・東京言語研究所・出版社関係の私設団体などがありますが、多くの団体は豊かな研究を継続的に行っていない可能性があります。
●独自の経営方針を持つため、その方針から逸脱することができない。例えば資金調達が目的であれば、金にならない内容は興味の対象にならない。具体的には、金が必要だ→ニーズは何か→TOEICだ→TOEICの点数を上げるためだけの指導法を行おう→それ以外は金にならないからやめましょう、といったような論法になる。
●公教育を悪として捕らえ、公教育に否定的な印象を持つ。よって、公教育が見落としている様々な知見を還元しない。最近では全国英語教育学会などに積極的に参加する方も増えているようですが。
以上の特徴と側面は十分な検討がなされていない可能性があるため、より実りのある議論が必要です。ご意見お待ちしております。
様々な側面が混在する実例
現在、筆者は民間企業が運営する英語教育に従事しています。そこでの事例を大まかにお話します。
運営機関Aは大学生に授業以外で英語を教える機会をつくっています。運営機関Aは、民間企業Bに講義を依頼し、その民間企業Bは依頼のあった大学に講師を派遣して講義をします。
講座は「○○試験対策英語講座」と銘打っており、これは運営機関Aが名づけたものです。一方で、民間企業Bは「試験よりもコミュニケーション力向上」という指導方針の下、「使える英語」を目指すために会話重視の講座を行っています。
また、講座は講師のみが行うのではなく、学生リーダー(大学生のバイト、年代は2・3年生が中心、所属は様々な学部)が講師の変わりをするという機会もあります。一週間に一回ずつ、講師と学生リーダーが交代で講座を運営します。狙いとしては、教える側も教わる側も学生同士で親近感が持てるということでしょう。学生リーダーの講義では、学生リーダーたちが自ら創ったアクティビティを用い、楽しみながら英語が話せるように運営します。もちろん、著名な大手海外出版社が出版した教材を使い、リスニングやリーディングの対策も行います。
研究を大切にしよう
この講座の中には、良い側面と悪い側面がいくつか混在していますが、今回focusしたいのは、学生が英語教育について深い知識を有さず、指導も受けてもいないのに、言語活動(上記の「アクティビティ」)を身勝手に創造し実践してしまうことです。
上記の具体例の中には少なからず次のような問題があります。
・コミュニケーションとはなんなのかが明らかになっていない。
・英語に関して深い知識を有さないものが、アクティビティを創造することは軽率である。
現在までに日本の英語教育史の中では様々なアクティビティがあったはずです。言語学・言語心理学・教育学が貢献した成果から教育学が様々なアクティビティをつくったはずです。それらを学習せずに、自分たちの創造だけに頼ってもいいのでしょうか。
少なくとも、英語教育に従事する上では、英語教育史、言語学、哲学、心理学などの学術分野が挙げてきた成果を勉強するべきではないでしょうか(例えば、「コミュニケーション」を知るには語用論や哲学、「アクティビティ」を創るには語用論、哲学、教育史、言語学、心理学に加えてありとあらゆる学問)。
公教育はどうなのか、民間企業との協力体制はあるのか
上記のように、教科教育研究を十分に行わずにいる民間企業がある一方で、公教育はどうでしょうか。公教育の人からすれば、研究も行わずに新しいアクティビティを創るのはナンセンスだとか、公教育の方が十分に研究を行ったうえでのアクティビティを利用しているだとか言う人が多いのでしょう。
しかしながら、過去の研究成果に安住し、過去の研究や慣習がすべてだと信じきっている教師もいるのではないでしょうか。いや、むしろ自分が採用しているアクティビティの効果を疑わず、盲目的にアクティビティを行っている教師もいるのではないでしょうか。
公教育も、より新しい、より楽しく効果のある活動を生み出し続けようとする民間企業に見習わなければならないところもあると思います。
今まで積み上げてきた学術的貢献をないがしろにすることは、常にゼロから教育を考えているようなもので、一向に進歩しないお遊びになってしまうと筆者は考えます。そうした意味では公教育と民間企業は共に教科内容、方法論などの見識を情報交換しつつ、互いの住み分けされた世界に閉じこもらない姿勢が大切だと感じます。
果たしてこれは実現可能なのか、という疑問は永遠に解決しないでしょうが、解決のために一歩を踏み出す人がこれからもへ続けることを願ってやみません。
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