Friday, December 16, 2011

考え方の整理①

ただひたすらに、なんの視点ももたずに論文を読んでいると、なにか難しい読み物をよんでいる感じがします。そのままひたすら読み続けていけば、最終的に我慢強さと幾分かの達成感は得られるかもしれませんが、研究という側面からは意味をなさない、と私は考えています。

しかし、今まさに私は視点を持たないまま論文を読んでしまっています。

このままでは、論文を読み進める視点どころか、ゆくゆくは内容を理解した気になってまったく理解できていないということになりそうなので、ここで一度頭を整理し、向こう数日に渡って研究の目的についていろいろと書き記していきます。

この記事にもついている「思考」のラベルでは、私の学術世界での恩師(勝手に仰いでいますが)に教わった研究に対する姿勢、ひいては物事の考え方をお伝えします。最近仲良くなった学部生さんの何人かからもリクエストがあったので、一大学院生の心もとない知識ですが、ここに晒したいと思います。

(記事内の注釈に関して:読んでいる最中にあちらこちらに目が飛んでしまうのは私が個人的に嫌いですから、注釈をページの下部にはまとめず、そのままの流れで小文字にして記します。)



今回の記事では、大学院とはどういうところか、研究とは何かという疑問を基に、個人的に大切にしている「研究にはどういった姿勢で臨むべきか 」ということを書きます。



1.大学院って勉強するところ?

私は現在大学院で研究生活を営んでいます。そこで友人によく言われるのは「そんなに勉強して何が楽しいの?」です。私も初めは研究=勉強(?)と解釈していました。ですから私が学部生の時は、「大学院に行ったやつは就職できなかったんで、とりあえず就職活動の延命措置をしている」と思っていました。もっとわかりやすく言えば、「就職できんかったやつは大学院でいろいろ模索しながら職を探せるし、修士・博士の称号もついてくるし儲けもんじゃん。だから行くんじゃん。」と思っていました。今考えれば、そういった目で人を見ていたことや自分の軽率な考え方を深く悔いています。先輩方、ごめんなさい。

結論を言うと、大学院=研究をするところです。


2.研究って何?

上でもほのめかしましたが、研究とは勉強ではありません。勉強でないなら何なのか。私の恩師の言葉を借りますと、研究とは謎を解くことです。(注1)

(注1)わたしは学部生4年の時に言語学の授業を取り、そこで学んだ言語学の自然科学的な考 え方というものに感化されました。ここでの研究に対する考え方はその時に学んだものです。私の知らない研究分野はたくさん存在しますし、もしこのういった考え方が通用しない研究があれば、是非ご教授いただきたいと思います。

整理すると、研究=謎を解くことです。

(もちろん価値のある謎を発見するだけでも研究といえるでしょう。)


3.謎って何?

人は何かしら普段から不思議に思っていることがあるはずです。
例えば、
  • なぜすべてのものは地面に向かって落ちていくのか。
  • なぜ人間は怪我をしても多少の傷であれば回復するのか。
  • なぜ時間と共に明るい時と暗い時が訪れるのか。
  • 私たちの祖先は一体なんなのか。
  • なぜ、子供は短期間で自然にその子供がいる環境の言葉を獲得していくのか。
  • etc

これらの例のように、我々は、よく考えてみれば日常の何気ないことにいろいろな疑問を抱いている(いた)はずです。もう少し詳しく説明すると、今現時点で、科学的に説明しきれない事実が身の回りにはたくさんあります。上のいくつかの例はすでに科学的な事実が大部分で証明されているものもあります。しかし一番初めにその謎が注目された時点では、まったくもって説明がつかなかったはずです。

この謎を解き明かすことができれば、それは何にも変えられない喜びとなる(注2)と私は思います。

(注2)簡単に意思表明をしておくと、私は「謎を解くことなんかより金に興味がある。」や「知的好奇心なんかよりどうやって食っていくかの方がよっぽど大切だ 。」、という考えは、「学び、発見したい」という考えの二の次にしています。金・ビジネスについての方がより興味があるとお考えの方は、どうぞその考えを尊重してください。確かに、お金は大事です。私は、金儲けをしたい人に対して全く批判をしませんし、むしろそうしたビジネス的な考えも豊かな社会には必要だと思います。私もビジネスが好きであったならば、しこたま金を稼ぎまくろうとしているでしょうし、後にも書きますがとりあえず「食うこと」は大切です。が、私個人的には肉体的な空腹感よりも心の空腹感を優先して満たします。
 
根本的に研究=勉強と考えている人はいますぐにその考えを正すべきだと思います。「金儲けの方が好きだから研究はしない」のであれば、それ は良いのですが、「もうちょっと勉強しに大学院に行く。」や、「勉強していれば研究職につけるだろう。」とお考えの方には、真っ向から全面否定します。大 学院はあくまで研究をするところですし、博士号をとっても食いはぐれる人はざらだからです。大学院生として、現時点ではそのように考えています。

もう一度整理すると、謎=今現時点で科学的に説明がついていない事実です。

研究と勉強、科学的な事実などの考え方については、以下のサイトがわかりやすいです。(私はこのブログ主さんのことは良く存じ上げていませんから、勝手にリンクを貼って良いものかわかっていません。万が一警告があった場合は即座にリンクを解除します。)
発声練習:研究と勉強の本質的な違い
発声練習:勉強が好きな人は修士がつらいかもしれない
発声練習:メモ


4.謎を見つけるには?

私の場合、常に「なぜそうなるのか?」と考える習慣を持つようにしています。こうすることで、日ごろから様々なものに知的好奇心(これも恩師の受け売り)をもつことができます。知的好奇心には生まれ持った気質も関係するとは思ってはいますが、「なぜそうなるのか?」を問い続けることで、その思いも断続的に強くなっていくように感じられます。

正し、ただ座って、厨二病全開で妄想にふけっているだけでは謎は生まれてきません。また、日常生活で常に「なぜそうなるのか?」という問いを持ち続けることも大切ですが、それよりも大切なことは読書です。自分の興味のある分野の書物を読みまくり、その中で解明されていない謎を探索することが必要です。厨二病を洗練させて研究対象とするために読書を用いるわけです。少なくとも、凡人である私の厨二病は大よそ研究になりそうな考えではないでしょうから。

厨二病はあくまで研究への第一歩です。言いかえれば、心の底から生まれる謎に対する好奇心の産物が厨二病だと思います。そして好奇心の産物を、読書を用いてより深く調べ、探索し、わかっていることとわかっていないことを明確にしていき、研究への足掛かりをつくることが必要だと思います。私は、この謎を発見する足掛かりをつくることを勉強としてとらえています。

整理すると、研究としての謎の発見=勉強=知的好奇心+(探索的)読書

5.好奇心に理由なんかいらない!

アインシュタインなんかもそうだったと思うのですが、有名な研究者の研究というのは没後に評価されることが多いと聞きます。

たぶん研究者に対する一般的な社会の捉え方は、社会に役立つ研究をしている=良い研究者、そうでなければ悪い研究者、と考える人も少なくないと思います。しかし、社会に役立つ研究というのはそんなに簡単にできるものではないと思います。こんなにも変動の激しい社会を前もって予測するのは非常に難しいことですし、できたとしても稀です。その変化に合わせて、現在社会にとって価値のある研究成果を公開していくのは大変な作業だとおもいます。

飛行機だって、最初は今では考えられないようなスペックだったわけで、時間をかけて今のようなジャンボジェットになったわけです。たぶんライト兄弟も、昔は空を飛ぶ鳥を眺めながら、「飛びてぇ」と漠然と興味を抱いたはずです。そのちょっとした好奇心が、時間をかけて世の中を豊かにしたわけです。

ですから、「今現時点で意味のある研究」を求めることほどつらいことはないと思います。やっていて詰まらないはずです。乱暴な言い方を恐れずに言えば、「そんなんはビジネスに任せてけばええんじゃ。」です。

知的好奇心に論理的必然性はいらないはずです。そんな義理はありません(恩師曰く)。自らの心から湧き出る知的好奇心によって、初めて生産性が生まれると思います。(これも恩師の受け売りです。)

私の知るある子どもがこんなことを言いました。4年生でした。
「物って温めると大きくなるって学校でならったんだ。でもそうすると、太陽であっためられてる地球って大きくなってるのかな。」
これこそ純粋な知的好奇心ではないでしょうか。
地球膨張説について早くから興味を持つなんて・・・この好奇心には感服しました。

まるで子どもが何でもかんでも知りたがるかのような姿勢が研究者にも必要だと思います。

整理すると、知的好奇心(興味)に論理的必然性は必要ない


6.それでも迫る「成果」の欲 orz

研究をしていると、やはり研究者を目指しているのだから「成果」が伴わなければと思ってしまうことがあります。この考えが本当に厄介です。まじでウザい!

上でもほのめかしましたが、「研究をするのであれば金や社会的な成功のことは考えない方が良い」というのが私の考えです。が、大学院での在学年数も定められ、社会人になって自分で稼がなくてはならないという切迫感にさいなまれ、論文の締切日も毎日着実に近づいてくる。こうした中で、いつの間にか「研究成果を出さなければ!」という思いに取りつかれ、本来の好奇心を忘れてしまいそうになることがあります。

こうした考えに取りつかれたとき、私はいつも恩師の言葉を思い返します。

  • 「君たちが簡単に研究成果をだせるとするなら、僕ら(教授)の立場がなくなるよね。」
  • 「そりゃ、中にはとびきり頭のいいやつもいるけど、だれもそんなことを万人に求めてないし、自分が頭良かったらいいのになぁって考えてるだけじゃ何も進まないよ。」
  • 「将来仕事につけるか不安?先が見えないのは当たり前で、見えると思ったら大間違い。」
  • etc
文字にするとなんだか威圧的な感じがしますが、とても温和な感じで話していると想像してください。学識字は温和でやさしい方が多いですw

こうした言葉を胸に、また素晴らしい先生方に支えられながら研究を進めていける私は幸せ者かもしれません。どうか今悩んでいる方、行き詰っている方は素晴らしい先生に巡り合えますように。そして決してひとりではないということもお忘れないように。愚痴ならこのブログへどうぞw

整理すると、心から湧き上がる好奇心を常に持ち、社会的な要請・論理的必然性は二の次にする。(注3)


注3:再度申し上げますが、生きていくことは大切です。故にお金も必要です。無謀な賭けはしないが、心から湧き上がる好奇心を忘れてはならない。これが私が現時点までに学んだことです。無謀な賭けをして痛い目を見たこともありますw

7.まとめ

私が上述したことをまとめると以下のようになります。

大学院=研究をするところ
研究=謎を解くこと
謎=今現時点で科学的に説明がついていない事実
研究としての謎の発見=勉強=知的好奇心+(探索的)読書
知的好奇心(興味)に論理的必然性は必要ない
(心から湧き上がる好奇心を常に持ち、社会的な要請・論理的必然性は二の次にする。)


注4:青は心の持ちようです。


8.参考までに

以下はほんの少しばかりですが参考になるHPおよび書物です。

HP
気持ちの面で支えになる学識者の言葉として、
発声練習:卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう(他)
学識者の述べる研究・仕事の方法として、
英語教育の哲学的探求2:知的仕事のABC
慶應義塾大学大津由紀雄研究室:大津先生のノート

書物:
研究中・勉強中に社会的な生きづらさを感じたら、

『生きる意味』, 上田紀之,  2005, 岩波新書

"The Purpose Driven Life: What on Earth Am I Here For?", R Warren, 2007, Zondervan    (日本語訳あり)

    『修養』, 新渡戸稲造, 2002, タチバナ文庫
 啓発書などは本屋に行けばいくらでも売っています。これらは私がビビっと来た本です。興味があれば読んでみてください。

Wednesday, December 7, 2011

memo1

L2ライティングに足を突っ込み始めて早2ヶ月。

L1ライティングだけでも大変な研究領域なのに、L2のライティング学習者、つまりmulti-competence(Vivian Cook)という厄介な能力を持つ学習者を研究対象を選んでしまったことに少し後悔。いや、厄介というのは研究領域が広すぎて何を研究すればよいのか中々絞れないという意味でです。

今興味があるのは

①日本のEFL学習者におけるライティング学習の社会的な位置づけ;諸外国とどのように違うか=descriptiveな研究

② ESL学習者とEFL学習者の目標の違い:ライティングの観点から=descriptiveな研究

③ライティング指導で何が教えられているか;何が教えられるべきかという問いに対しての再考察=descriptive and explanatoryな研究

④L2ライティングと論理力=explanatory

というところです。


こうして見てみるとdescriptiveな研究が多い。いや、これはたぶんどうしようもないことなのでしょう。なぜならGrabe(2001)の述べるような第二言語習得(特にライティング)においてのpredictive and explanatoryな理論を構築することは、SLライティングが様々な要因が複雑に絡み合ったL2学習者を対象にしているため困難であるからです。欲を言えばpredictiveな理論を作りたいのですが・・・今の知識と思考力じゃぜったい無理!です(・。・/

(ちなみにGrabe(2001)で述べられている理論研究の構想をささっと図でまとめた記事もあります。Grabe 2001)








研究は一超直入できるものではないですから迷っていても仕方ないですから、とにかく読みまくるしかないのですが・・・それにしても読む視点というものがほしいです。



いつも、

こんなんじゃあいつまでたっても論文書けねぇんじゃね?orz

と思ってしまいます。


とにかく主軸となる理論(親理論)を手に入れなければ・・・

ということで、これから読む本をとりあえずメモとして挙げておきます。んー、完全に自分のメモですね。スマソ



これから読む本:

JSLW学会誌20年分・・・ orz

Critical Applied Linguistics (Pennycook 2001)

社会的構造主義への招待 (Vivian Burr, 田中訳 1997)

Identity and Language Learning (Norton 2001)

Self comes to mind (Damasio)

Alternative Approaches to Second Language Acquisition (D.Atkinson)

『フーコー・コレクション(3) 言説と表象』(ちくま)

Grabe 2001

以下はOn Second Language Writing (Silva and Matsuda 2001)に収録された"Notes Toward a Theory of Second Language Writing"(W.Grabe)をまとめたものです。

記憶の整理のために載せます。


Grabe(2001)を読む

 この論文はL2ライティングの理論の必要性と、それまでに発表された理論に関する論文の系譜を綴ったものです。ライティングの理論の目指すべき形、過去のライティングのL1/L2理論の系譜、ライティングのモデルの系譜、目的・プロセス・成果に関するライティングの構造、ライティングの理論を構築しうる新たな代案の5つの章で構成されています。

ライティング理論の目指すべき形
 Grabeさんは、ライティングの理論を構築することは、広く周知されているcontexts(文献)から読み取れる実際のライティングプロセスの分析から研究者や教師を遠ざけてしまう可能性があり、加えてつかみどころのない一般概念や混乱に引き込んでしまう可能性もあると述べます。しかしながら、理論(つまりどのようにライティングを定義し、理解し、分析し、発展させるべきか)を追求することによってL1L2ライティング双方における研究、指導、評価の慣習を有効に編成する大要を構築することができると述べます。また、体系的な理論がなければ、研究や指導は個人的志向、社会的慣習、アイデアの再発想の歴史的蓄積にしかならないとも述べています。
 理論を構築する上での目標として、Grabeさんは次のような順序立てをします。(以下筆者による図)





 この目標を述べた上で、Grabeさんはこれまでどのような研究が行われてきたかを述べます。
 まずライティング理論の基礎的な研究としてBereiter and Scardamalia(1987)を挙げます。この研究は知識をそのまま書き出すknowledge tellingと文脈や読み手、文化やwritingの意図といった要因を統合し書き出すknowledge transformingに大別しライティングのモデル構築を行ったものです。しかしながら、たとえこのモデルが様々な予測を生み出すとしても、この研究の範囲では様々な状況下やタスク下に置かれた個人と集団のパフォーマンスの違いに説得力のある具体的な予測が立てられないと述べます。そして現時点(2001)では、より生産的調査、分析、指導へと導く理論が後世で出てくることを願うことしかできず、この生産的調査、分析、指導へと導く理論こそが、descriptive theoryからexplanatory theoryへと発展させると述べます。


 さて、この理論を構築する上で重要になってくるのはどういったことを調査するかです。Grabeさんは、その調査対象を簡単な言葉で述べます。

              To simply put, the goal is to describe what writing is; how it is carried on as a set of mental processes; how it varies (both cognitively and functionally) across tasks, settings, groups, cultures, and so forth; how it is learned (and why it is not learned); and how it leads to individual differences in performance.

 そしてこれを発展させ、具体的にどういった分野を開拓していくべきかを述べます。

              1. A theory of language.
              2. A theory of conceptual knowledge and mental representation.
              3. A theory of language processing (writing process).
              4. A theory of motivation and affective variables.
              5. A theory of social context influences.
              6. A theory of learning.


結果を述べてしまいますと、L2ライティングのモデルはこの論文が書かれた年から10年経った今でも確立されていません。

不完全ながらも体系的なモデルが二つあります。それはFlower and Hyes (1981)のモデルを拡張させたHayes(1996)Grabe and Kaplan(1996)です。双方のモデルは、結果として似たような形になりました。が、不完全なことには変わりありません。

Grabeさんはこれに対し、新しい代案として予測できないものを無理に予測するのはやめて、かえって将来のよりよりモデル構築のために情報を蓄積し分類していくことを勧めます。
 
              The goal would be to create a taxonomy of research on various aspects of writing performance.A taxonomic effort provides for more comprehensive coverage and allows for contradictions to exist together until further research resolves these issues. A conditions view also allows for certain constraining factors to emerge across a range of collected studies: It offers a way of noticing less obvious trends and patterns.

またGrabeさんは第二言語習得においてSpolsky(1989)が述べたことを引用し、writingの研究にも同じことが言えると言います。

              “My goal…will not be to establish a model of how language is learned, but rather to explore how to specify, as exactly as possible, the conditions under which learning takes place.”

論文の最後では、具体的な分類のカテゴリーを示唆しますが、ご興味のある方は本論文をお読みください。